銀行の本質 institution of a bank 2003 5 24
日本では、最近、銀行に関する議論が増えてきましたね。
東京都では、新しい銀行を作る構想まであるようです。
この際、いい機会ですから、そもそも「銀行とは何か」、
つまり、「銀行の本質」というものを議論すべき時代かもしれません。
みんなで「銀行とは何か」というテーマについて、
銀行のあるべき姿について提案するのもよいでしょう。
私は、ITには興味がありますが、あまり銀行には詳しくありません。
今は昔、銀行というものに興味を覚えて、スイスの銀行を本で調べてみたことがあります。
スイスの銀行と日本の銀行を比較して、だいぶ違いがあることに気づきました。
しかし、その時は、それで終わりました。
やはり、コンピューターの方がおもしろいと思ったからです。
さて、本題に入ります。
まず第一に、銀行とは、国民から金融資産を預かり、国民の金融資産を増やすこと。
そういう意味で、ゼロ金利は、銀行そのものの本質に反しています。
ただし、国民の金融資産を維持管理していくには、コストがかかりますので、
そのコストを預金者に負担してもらうと考えるのは、自然な考えです。
たとえ、預金残高が1円でも、銀行は、その口座の維持管理をしますが、
これは、年という時間で考えれば、一定のコストがかかります。
空気はタダですが、水はタダではありません。
それは、水の維持管理には、コストがかかるからです。
第二に、銀行とは、資金を必要とする人や法人に、お金を貸すこと。
最近は、本来、副業であったはずの債券市場に夢中になっていますね。
国民から預かった巨大な金融資産を債券市場につぎ込んでいます。
そのお陰で、債券市場は、バブル状態になっています。
株式市場がデフレ状態になっているのと裏腹に、
債券市場は、空前のバブル時代を迎えています。
このことは、なぜかマスコミは報道しません。
いつも、株式市場のことだけ報道し、債券市場のことは報道しません。不公平です。
しかしながら、銀行というものは、
そのような債券市場で、いつまでもギャンブルをしているのは、よくありません。
銀行というものは、ある程度、リスクというものを考えるべきです。
もう一度、初心に返り、融資業務に帰るべきです。
融資というものは、資金を必要とする人や法人の事業計画を十分に検討して、
その事業計画に、安全性と成長性があれば、融資すべきです。
ここで、将来の不安を感じるから、融資の担保となるものを求めるのでしょうが、
それは、今までは、不動産が重要な担保となってきました。
しかし、不動産があれば融資するというのは、融資担当者としては楽ではありますが、
別の見方をすれば、融資担当者の怠慢です。これでは、融資担当者の実力が上がりません。
なぜなら、何はともあれ、不動産を担保にすればいいと考えて、不動産を担保にした段階で、
もうそこから思考停止の状態となってしまいます。
しかも、デフレが今後、長く続くとしたら、
不動産そのものがリスクということに気づいていません。
「信用第一」とよく銀行は言いますが、裏を返せば、「不安第一」です。
そんなに不安ならば、新しい保険制度をつくればいいのです。
たとえば、ある優秀な技術者が、事業を計画していて、事業としては有望だが、
土地などの担保となるものがない。しかし、融資をしたい。
この場合、その事業に1,000万円を融資して、
万が一、その1,000万円が運悪く、不良債権となった場合に備えて、
1,000万円の不良債権保険に入ればいいのです。
もちろん、今の時代、そのようなリスクのある保険を販売する保険会社はないでしょう。
しかし、このまま、デフレが今後、10年以上続くなら、何もしなくても銀行は死にます。
このまま、座して死ぬか、チャレンジした結果、死ぬのか。
それは、人生観によります。銀行の人生観によります。
既存の銀行が「座して死ぬ」コースを選ぶ場合が多いならば、
誰かが、「チャレンジする」コースを行く必要があります。